あるHucastの日記

8月7日
今日は記念すべき日だ。
今日、漸く、拙者の家にクーラーが着いたのだ!!
これでようやく段ボールクエストⅡ~3階の魔境~が再開できる。


思えば引越しをしてからのこの18日間。……約半月か、長かった。
拙者は瞼を閉じるとその感慨にふける。
今回拙者はフリーランスのポンプ屋、ウォルフガング・ゴージ(偽名)にエアコンを発注した。
奴はLGのDVDドライブからLEGOの限定品まで、金さえ出せばなんでも引っ張ってくる凄腕のバイヤーだ。
この男との取引にはルールがある。

一つ、待ち合わせは神田ドトールであること。
一つ、奴の持つ携帯端末に突っ込まないこと。
一つ、えさを与えないこと。


6月某日、拙者は宵闇も迫りつつある神田のドトールに足を踏み入れた。
店内は驚くほど狭い。紫煙がくすぶる喫煙コーナーの壁際に、年代物のエアクリーナーがか細い悲鳴のような駆動音を上げている。
「ありゃあだめだな、もう中のコンプレッサーがイカれてやがる」
背中越しにかけられた声に振り向くと奴がいた。互いに目配せをして席を探る。喫煙コーナーの反対側、壁際の席が空いていた。拙者が目線で問う。
『コーヒーで?』
『ホットは止めろよ?』
拙者は肩をすくめて了解すると、奴はさっさと奥の席に陣取った。
「久しぶり、でござるな」
「ああ、前の仕事からこっちご無沙汰だったな。どうだい調子は?」
「まあまあ、でござるな」
そんな他愛ない会話をしつつ、アイスコーヒーを手に取る。冷たいもので咽を潤すと、漸く本題を切り出す気になった。
「エアコンが欲しい」
拙者の言葉に奴はわざとらしく眉を上げる。
「数は?」
「4つ」
「型は?」
「まだこれからでござる」
「そうか…」
奴はそう言うとストローを口にし、一気に中身を飲み干す。なんか”ずごっ”ってすごい音が聞こえた。
「明日の晩、またここで」
「承知」


翌日、拙者が席でまつと、5分とせずに奴がきた。手には一冊のカタログを持っている。
「またせたな」
「なに、いま来たところでござるよ」
アイスコーヒーをテーブルに置き、パンフレットを差し出した。
拙者が表を確かめるとそこにはM社製のエアコンが写っていた。厚みは、通常の店頭に置かれてるものの倍近くある。
「これは…」
ぱらりとページをめくり、中を確かめる。
「ああ、そいつは一般流通用のじゃない、集合住宅用のパンフレットだ」
エアコンは一般販売モデルと集合住宅用の二種類が存在する。前者はいわゆる家電量販店などで扱われる多機能なモデル。後者は必要最低限な機能を持たせた、いわゆるアパート向け一括卸し販売モデルだ。
「こいつなら普通の奴よりワンランク上の性能が安く---」
奴が口上を述べる前に、拙者はパサリとそれを机に落とす。
「ゴージ、これじゃない。これじゃあ、ないんだ」
拙者がかみ砕くようにそう言うと奴は最初怪訝な顔を---そして次に大きく目をむいた。
「おま、まさか---マルチエアコンを?」
マルチエアコン---それはいくつかの室内機に対し、大型の室外機を1つ接続するいわゆるn:1のシステムエアコンだ。
拙者はゆっくりと頷くと、奴の目がきつくこちらを睨み付けた。
「やめとけ、リスクが高すぎる。値引率だって大して良くはない」
マルチエアコンは一般流通モデルではない分、受注生産が殆どで、利益率が低い。
「だが室外機は少なくてすむ。なあ、ゴージ。拙者の家はな」
言いつつコップの水をあおる。
「狭いのでござるよ」
「馬鹿が、それこそ架台を---ええい、しらねえぞ? んで、壁は? 木造か? コンクリか?」
そのまま細かい打ち合わせをして、拙者の家にあうタイプを絞り込んだ。


それから二日後、日中だというのに拙者の携帯が鳴った。着信番号を見て首をかしげつつも、外に出て電話を取る。
「珍しいでござるな、こんな時間に」
「仕事中にワリィな。だがヤバいことになった」
「どうした?」
「M社が生産調整に失敗した。納期が全然見えなくなっている」
なんだと?
「今年は冷夏になるって予測をお立ってたんだ。だが実際は気温は馬鹿みたいに上がっている。工場のラインは今最大稼働で増産をかけているがとてもじゃないが追いつかないらしい」
おい、ってことはおい。
「当然これから受注するマルチエアコンの納期なんざカナリア諸島の向こう側だ。下手すりゃ秋になるぞ」
冗談ではござらん。拙者は急遽頭を巡らす。
「予定を変更、シングルエアコンで再構成するでござる」
こうした判断がすぐに付かなければ戦場では生き残れない。もっとも今回の判断が速かったとはとても言い切れないが。
「分かった、じゃあ---チッ、ヤバい。切るぞ」


三日後、夜。いつものようにドトールに向かうと奴はすでに席に着き、携帯端末で電話をしていた。
今日のストラップはアンチョビ---ガルパンである。
「よう、まってたぜ」
「ご機嫌だな」
「ああ、先日仕入れたツクモパソコンが高値で売れてな。おかげでウハウハだぜ」
「そいつは何よりでござるな。---で、拙者のエアコンは?」
そう尋ねると何とも言えない難しい顔つきになり、レザーバックから取り出した新しいパンフレットを投げて寄こした。先日のとは違い、一般用だ。
「そいつの中から選びな」
「おすすめは?」
フンと鼻を鳴らす。
「分かってんだろうが。自動掃除機能つき。それ以外の機能は無視してくれていい。逆にいやぁ自動掃除機能が付いてりゃ、それ以外の必要な機能もそろってる。それ以外なんざ蛇足だ蛇足」
「するとこいつでござるな」
拙者はミドルクラスのモデルを指さす。
「BXVか…妥当だな。だが…売れ筋なだけに弾(たま)がない」
「納期が厳しいと?」
「ああ、たぶんこりゃ早めに手配しないとマジィな。ちょっとまってろ」
そう言うと今度はレザーケースから別の端末を取り出す。裏面にはでかでかとカッティングマットで自作したとおぼしい「はちゅねミク」が貼られている。

「…あ、もしもしぃ、どーも、ゴージです。 ---ええ、ええ。そりゃもう---ハッハッハッ」
奴は電話口でにこやかに先方と話しつつ、カタログに目を落とす。
「いや実は専務のお力でどうにか都合頂きたいものがありましてね? ええ、先日お話しした件。今ちょうど決まりまして。---ええ、そうそう、そうなんです。型番申し上げますね---」
すらすらと2種類の型番---6畳用と18畳用だ---をそらんじる。
「---はい。どうぞ宜しくお願いします」
にこにこ顔で電話を切ると、一息ついてこちらを向く。もう顔は笑ってなかった。
「まずいな」
「そうか」
拙者はそう言って天を仰いだ。なにせこうなっては拙者に出来ることはない。あとはメーカー側の生産が間に合うのを祈るだけだ。


それから三日後、また仕事中に電話がなった。今度はちょうど外に出たところだったのですぐさま出ることが出来た。
「拙者でござる」
「あー、ZAN、悪い知らせと良い知らせがある。どっちからに?」
「たまには良い知らせからにしよう」
「あっそ。んじゃ伝える。例のブツの値段、交渉がうまくいった。思ったより安く済みそうだ」
「ほう」
「あ、だがこれ以降はダメだ。生産調整の件もあり、今後は定価は変えないが仕切り率を切替えるそうだ」
「そうか、発注が間に合って何よりでござる」
「で、悪い方の知らせだがな…すまんが、納期が見えねぇ。今言ったとおり生産調整かけて工場も倍近い時間稼働してるがそれでも追いつかないらしい。最悪8月末を覚悟して欲しいとよ」
「…それは、死ぬな」
「ああ、俺もそう思う」
すでにこのとき、拙者の脳裏には借金して購入した家に殺されそうになるという昼のワイドショーネタになるような一家のむごたらしい光景しか浮かばなかった。


事態が好転したのはそれから一週間もたった頃。
すでに台風がさり、熱気が立ち上るアスファルトを踏む季節となっていた。
「で、どうなったのでござる?」
アイスコーヒーを前に拙者が尋ねる。
「喜べ、納期が短くなった」
ふんぞり返ったゴージがどうだとばかりに言い放った。胸元にはデフォルメキャラのストラップが揺れている。今日は「魔法科高校の劣等生」の「深雪」であった。
「ほう」
「8月頭には納品が可能になった」
「それは素晴らしいでござるな」
拙者は内心胸をなで下ろした。どうやらお昼のニュースのネタになることだけは避けられたようだ。
「なあ、ZAN、今回俺は結構苦労したんだぜ?」
「フムン?」
「あっちの専務には以前あった貸しでネゴしてさぁ。在庫状況の確認から価格交渉まで」
「うむ、感謝してるでござる」
「で、で、でだな。ここらで一つ未婚のナースさんをご紹介---」
「あ、拙者そろそろ仕事なんで戻らなければ」
「まてっ! てか嘘つけお前もう仕事はねてなきゃここまでこれないだろうが!」
「店の中で叫ぶな! つか二次元だったらいくらでも紹介してやると言ってるでござろう!」

狭い店の中、エアクリーナーのか細い駆動音がかき消されるような男たちの罵声が響き合った。
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夏の夜向けのお話し

諸兄へ


拙者が引越しするに当たり、連絡が途絶え、大変ご迷惑をおかけしていることを大変心苦しく思う。
またご近所にはまともな挨拶も出来ぬままとなってしまったこともとても残念でござる。

この夏の盛りに引越しをしたことに関しては、正直面倒だな程度にしか考えていなかった。
拙者のこの認識が甘い、というのは諸兄からの叱責を頂くまでもなく、今この身にしみて重々承知している次第だ。

7月22日、海の日の祝日だった21日とその前日の日曜、拙者と妻は大急ぎで荷を段ボールに詰めた。詰めまくった。そして積み上げた段ボールは拙者の背よりも高く、全くこの部屋のどこにこれだけの荷物があったのかとあきれさせるに十分だった。
もちろん先だって個人の趣味の収集品の数々は分配し、箱詰めし、自身の車により輸送済みである。(それだけでも4往復もかかった!)
しかしそれでも拙者たちの荷物は山のように大量で、朝9時から来る予定だった引越し業者から「渋滞があり、30分ほど送れる」との連絡があった時は不謹慎にも妻と共に「助かった」と思ったほどだ。
ともあれ、段ボールに詰めるだけの簡単な作業はぎりぎりまで続き、拙者たちは到着した引越し業者に請われるままに詰め込みの指示に終われたのだった。

昼前になり、冷蔵庫や解体した本棚など、大きな荷物の運び込みを終え、まずは一便を出そうということになった。
新居までは車で大体20分ほど。拙者たちも荷物に合わせて自家用車で移動となる。荷物は2tトラックだ。こちらは作業員の小休止も挟みつつ、引越し先に向かうことになる。

ここで一つ目の事件が起こった。渋滞だ。アパートを出発し大通りに出たとたん、見たことも無いような渋滞が発生していた。一体何があったというのか。あいにく拙者の車にはGPS連動ナビゲーションシステムなどという便利な機能は付いてない。(据え置いているのは分厚い首都圏MAPくらいだ。)
渋滞の波に乗ることしばし、300m進むのに10分近くかかるという状態だ。ぎらつく太陽の下、車の列が作り出す熱量はものすごく、とてもではないが窓を開けておくことなど出来ない。それ以前に排気ガスで参ってしまうだろう。拙者はエアコンを効かせつつ、渋滞の列をにらむがいっこうに解消される気配は無かった。
そこで拙者は仕方なく、裏道を使うことにした。きちんとルートを把握しているわけではないが主要な道路は頭に入っている。それに従って裏道で抜けていくことにした。
結果は上々だった。最後にちょっとだけ渋滞に捕まったが、それでも元の道を亀のような早さで進むよりはよっぽどましだろう。
小躍りしたい気分で最後の角を曲がる。この角を曲がって直線を300m程進めば、十字路の向こうに新居が…。

そして二つ目の事件が起こった。
新居へと通じる道が閉鎖され、誘導員が立っていたのだ。
いやな予感を感じつつ、窓を開けると、道路工事特有の機械音が聞こえてきた。まさか?! まさか?!
「あのー、これは一体…」
「あー、ハイハイ。水道工事デス」
目をこらせばちょうど拙者の新居の手前の十字路がほっくり返されているではござらんか!!

驚きつつもあの工事現場の先に行きたい旨を伝えると、大きく道を迂回して、裏手側から回るしかないと
いう。
窓を開けて伝わる熱気にいやな汗をかきつつ、拙者は車をそちらへと向けた。裏手へ回るには一方通行道路を迂回するため二つ十字路を越え、左折、線路まで進み、もう一度左折する。細く暗い路地に心配を募らせながら遠方を見やると、ぽつんと道路工事中の立て看板と警備員が見えた。車を寄せて事情を説明すると色黒な老警備員が無言で看板をよけてくれた。

こうして新居までたどり着いた拙者だが、言いようのない不安に駆られた。
これどうやってトラック入れるんだ?
汗を拭きつつ携帯で業者に連絡を取り、工事の旨を伝える。先方もかなり焦っていたがとにかく近くまで向かうとのこと。
どうなってしまうのだろうと心配しつつ30分ほどまつと、漸く携帯電話が鳴った。
拙者が電話に出て現在位置を確認、再度誘導して裏手へと回ってもらう。
道幅はギリギリだったがなんとか入ってくることが出来た。とにかくもう、時間がかかった。
そこから一気に荷物を運び込む。運びこむ。運び込む。途中、拙者のキャビネットを持ち上げるとき、業者の人間が「金庫より重い」と苦しげに漏らしたがソレも些細なことだ。
一杯目が空になると再度荷物を積み込みに元の住所へと戻る。渋滞も解消しており、正規のルートで現地に到着した。だが時刻はすでに5時を回っていた。だというのに工事は未だに進行中で、大きく迂回して搬入しなくてはならないのは相変わらずだった。
机、箱、ラック、本棚、箱、椅子、箱、ベビーサークル、箱、箱、洗濯機、箱、箱、箱…。
絶え間なく運び込まれる資材で埋もれていく新居。全くもって大変な作業であった。
皆が汗だくになり作業を終えたのが結局19時すぎだった。

業者が帰る頃には皮肉にも道路工事も終わっていた。こうして漸く拙者の慌ただしい引越しが終わったのだ。
くたくたになった拙者はもう、どうにもならないほど重くなった体を引きずり、風呂に入る。
まだ荷物の開梱など一切手を付けてないが、そんなものにさく余力は残っていなかった。

そう、力尽きる寸前の拙者にはこの後我が身に降りかかる最後の事件など、全く予想も出来なかった。

布団は専用の袋にまとめられていた。なんとか余力を振り絞ってそれを一つ開梱、妻と子供の分だけでも、と布団を敷く。自分の分など、とてもではないが開けられそうにない。拙者は毛布を一つひっつかむと、それを床に敷き、横になった。

九時頃…深夜、とは普段なら言えぬような時間帯。カラスの甲高い鳴き声が耳朶を打つ。
拙者は眉を寄せ、身をよじり、あえぐように一息つく。
寝苦しい。異様に高い湿度と室温。そう、熱帯夜だ。
一つしか無い扇風機は妻と子のいる一階の部屋にある。拙者が寝る二階は窓を開け放っていたが風が全く
入ってこない。いや、木の葉も揺れぬ所を見ると吹いてすらいないのだろう。

あつい。

はらわたが煮えるような暑さだった。

あつい。

じめつく汗は滝のようにながれ、襟元など、その汗で締め付けられるようにすら感じる。

あつい。

ああ、なぜ、なぜだ。

あつい。

なぜクーラーがないんだ!!

そう、拙者の家にはまだ、クーラーが無かった。それは某メーカーが今年は冷夏になるという前情報を信じ生産調整に入ってしまったためだ。だが実際はそうではない。例年通り、いやそれ以上の暑さで今、拙者をむしばんでいる!!

あつい。ああ、あつい。

溶けるようだ。

とけ---

拙者は混濁した意識の中でこう考えた、
次は、次の引越しはエアコン付けてからにしよう、と。